ADHDと元JWの思い出し手帳

未診断ADHD。元JW(エホバの証人)。四人の母親。

自分を育てる

ADHDの特性やエホバの証人としての経験から、自己肯定感が低くても今から少しずつ自分を育てていけばいいのです

ADHDらしき特性と、エホバの証人として生きて獲得してきた物事の考え方(神に献身して自分を無にする)がいい年になっても未だに足を引っ張ってくる。

 

 

 

またブログの日が空いた。

一回モチベーションが下がったり飽きが来ると、浮上してくるまで時間が掛かる。

 

今現在の私のやりたいことは、

仕事(在宅&自営旦那の手伝い)

通信大学の勉強。

 

どうしても0か100かみたいな感覚が物心ついたころからあるから、

きちんと集中したい、集中が削がれそう(子供や家事、体調、旦那等々)な時は

やりたいこと、やるべきことに手を付けられない。

 

大人になって、自分の限界を知ったり、

老化をじわじわと感じたり、

出産でねじ1本どころか脳みそ溶けたかな思えるほどポンコツ度が増しているので

 

集中したところで100%自分の身になることができるか、

仕事で成果を出せるかというと無理なんだけど、

もう脳の癖がへばりついてしまっていて、なかなか頑固に自分で自分の首を絞めてしまっている。

 

そしてそうやって過ごしていると自己肯定感もどんどん低下していって

あれも出来ていない、これも出来ていないとマイナスの部分ばかりを拾い集めてしまう。

 

 

仕事であれも勉強したい、これもやってみたい、社会貢献したい、大学の勉強をしてコンプレックスを振り払いたい、趣味もやりたい、子供たちと出かけてたくさんいろんな経験をさせてあげたい。。。普通の欲求を実現させることに無意識に歯止めを掛けてしまう。自分のしたいことをするのに罪悪感を感じてしまう。

 

20歳のころにエホバの証人は排斥になったので、もう15年近く離れているんだから、もうそんなの忘れればいい、気にする必要ないと自分でもわかっているし、そのつもりで生きている。

 

でも、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、本当に自分を捨てて、それを自信に、誇りに生きていた時間で心に刻み付けた跡はなかなか消えない。

 

アダムとエバがエホバ神に背いたせいで、人間は不完全なものとして生きるようになり、それは型についた傷のようなもので、必ず後世に続いていく…と教えられてきたのと同じように、まさにエホバの証人として生きて刻まれた私の型はいびつなままだ。

 

それでも走り続けるしかなくて、子供もいるし、なんとか追ってもらえる背中になりたいから、少しでも手本になれるように私は頑張りたい。

 

 

100できなくても、たった1だけでも何か明日に繋がることを出来たら自分を褒めるようにしてる。

洗濯物を畳んだ、掃除機掛けた、洗い物やった。

画像編集を少しやった、新しい知識を得た、自分を否定しなかった。

なんでもいいから自分を肯定する癖をつけたい。

 

最近効果があったなと思うのは、日常の生活を楽にするものを遠慮なく取り入れること。

はっきり言って貧乏だから、高価な家電は導入できないけど、

例えば子供たちの水筒を洗うのが毎日イラっとしていたけど、シュッとスプレーするタイプの洗剤を取り入れた。

このほんのちょっとの楽が、自分にとってはとても程よく、洗い物のハードルが少し下がって、ちょっと片付けるか、という気分になる。

ただコスパは悪いので、水筒と1歳の娘が使っている細かい部品があるマグだけね。

 

 

ちょっとずつ、楽を取り入れるようにしてみて あぁ自分を知るって大切だなと思う。

思ったより自分のことを知らないものだなと。

 

こんなことにイライラするのか、こうするとテンションが上がるのかと自分を知ってあげようと心がけてみたらなんとなく少しずつ自分を救えてきた感覚がある。

きっと心が幼い頃に成長をやめてしまっているから、今少しずつ育ててあげているところなんだと思う。

 

焦ったところで何も始まらない。今できることを、きっと出来る、1つでいいから進めると自分を信じてあげて、七転び八起きでゆっくり進んでみる。

洋服の片付けーADHDにはできないのか

ADHDには洋服の片付けは不可能なのか

ADHDの片付けが出来ないという特性から、特に洋服についてピックアップして考察します

洋服の片付け、出来てますか?

 

私は当然のようにできていません。

もはや諦めてもいます。

 

毎日毎日家族6人分の洗濯物が干されては畳まれ、積まれ、山がいつまでも減りません。

さらにそこに衣替えなんて季節が来たらすべてを投げ出したくなりますよね。

 

現段階でうちでは投げ出されています。

 

子供には、自分の洋服は自分でしまってね、と毎日声掛けはしているのですが、引き出しはパンパンだし、ハンガー掛けもいっぱいで、毎日イライラしています。

 

   

 

私の小さい頃は、今のような軽くて出し入れしやすい引き出しは使っておらず、よいしょと木の引き出しを力を入れて引っ張っていました。

ただでさえ片付けが苦手な人間が、片手でスッと開けられない引き出しを毎日開けて綺麗に洋服をしまって…なんて出来ません。

 

ものすごく気が乗る時があって、時々は中も綺麗になることがあるのですが、保つことはありませんでした。

 

 

そして時が経ってもういい歳ですが、未だに重い木の引き出しは苦手です。

子供のころに家族で買いに行った、私専用のタンスが捨てられずに取ってあるのですが、完全に衣替えの控用の入れ物状態です。子供のサイズアウトしたものや、ポーチや鞄類、可愛がってくれた大伯母の形見や小さい頃の思い出の品などなんでも詰め込んであります。

 

押し入れも家族全員分の服でパンパンです。

譲ってもらったけど着ない服、お下がり待ちの服など、可能な限り仕分けはしてみたのですが、タンスや押し入れもはみ出して、タンスの上、鏡台の上、ハンガー掛けの下にまで溢れている状態です。

 

これでいいと思っていませんし、今まで何度も減らそう、圧縮しようなどと回数は重ねてきました。

 

そこに邪念が入るんですよね。

これはボタンが使えるから、この作業が終わったら取って、生地は捨てよう。

この生地は手芸に使える、この辺を切って違う生地と合わせてリメイクすればまだいけるか、とか。

最近はこれは売れるかな、というのも捨てるのを躊躇させてきます。

元々大したもの買っていないから、大した値段で売れないはずなのについ全部捨てるのは…と考えたりしてしまいます。

 

 

でも現実、その作業中に子供が泣き始めるだの、保育園にお迎え、晩御飯の支度だのリミットがすぐにきます。さらに 飽き性 !

 

熱しやすく冷めやすいので、目の前にある洋服の山を見るのも嫌になって、トイレに行き、ちょっと別のことに手を出すと、その片付けの作業自体を忘れてしまったり。

 

断捨離という言葉が羨ましくて、一度スカスカにしてみたいのですが、

部屋を見渡しても何からすればいいのかわからなくなってしまうんですよね。

 

それでもやっぱり、子供には、母親としてきちんとした背中を見せたい!!!!!

 

この間Twitterかなにかで、こんまりさんの動画を流しながら掃除するとはかどると目にして、ほほぅと思ったので試してみるつもりです。

 

 

 

そして、減らせたら新しいのを買うのではなくて、レンタルにしてみようかと思っています。

 

エアクロとか、月額5000円くらいで自分の好みのスタイルに合わせてセットを送ってくれて、月に何回か制限があるけど気にくわないのは交換してくれるっていうサービスです。

 

 

 

JW2世だったことが影響してか、いや単に年齢にふさわしくという心理からか、洋服はコンサバなものが落ち着くので、きっとレンタルでもそんなに奇抜なものはなさそうだし、洋服の管理が苦手な私には実は非常にあっているんではないかと思っています。

 

普段の安い服は、洗濯も色物とか関係なしに洗ってしまうからすぐに毛玉とか作ってしまうし、畳みっぱなしで皺が入っているという状態なので、それならいっそのことレンタルして、使わなくなったら返して、新しい洋服が来るのを待つ、というふうにしたほうが部屋も綺麗に保ちやすいしいいことづくめですよね。

 

プチプラのお得で可愛い服は部屋着で楽しむとして、外に着ていく服は30代の素敵なママ☆笑 みたいな感じでレンタルでスタイリストさんにお洒落にしてもらい、ついでに片付けの負担も減らして、出来るママを演出しようかと思います!

1世として生きた母~つづき

ずっと変わらない

 

まだ母が宮崎に完全に移り住む前、

私は第1子である娘ぴーこを産み、時々母はうちに遊びに来て可愛がってくれました。

飲んでいる薬の影響があって、常に眠気と戦っている状態なので娘を預けることはできませんでしたが、一緒に苺を食べたり、冬は雪遊びをしたりしました。

   

ある時、やっぱり孫は目に入れても痛くないくらい可愛い?と聞きました。

 

母は、そうねぇ、すごく可愛いけど、〇〇ちゃん(私)の方が可愛いと言っていました。

 

この言葉はずっと私の心でピカピカと光り続けています。

 

母はエホバの証人の1世として、一生懸命愛を体現しようとしていました。

 

でもそれ以上に母の根本的な、人間としての深い、本当に深くて強い愛がありました。

 

そしてそれを何一つ出し惜しみすることなく、父にも兄にも私にも与えてくれました。

病気になった母に冷たくした私にもです。

そして世の人と結婚して排斥された、本来は口を利いてもいけない私にもです。

 

会衆の兄弟姉妹にも常々家族のことが大好きであると全く遠慮することなく話す人でした。謙遜して兄や私を悪く言うことは1度もありませんでした。

 

そんな母が宮崎に滞在することになり、時々連絡するのですが、連絡後に寂しさが募りパニックを起こしてしまうと伯母から伝えられました。

だから極力放っておいてほしいと。

 

こちらとしては、母に近況を伝えたい、特に私は孫の顔を写真でも見せてあげたいところでしたが、それが結果的に面倒を見てくれている伯母や叔父に迷惑をかけることになってしまうということであまり連絡をしないようにしました。

 

私は第2子の息子ぴーすけが産まれてから結婚式を挙げたのですが、結局母をこちらへ呼ぶことも、写真を送ることもできませんでした。

 

パニックを起こすと、死ぬためでしょうか、包丁を持って家を飛び出したなどの報告がくるのです。

様々な葛藤がありましたが、結局父と伯母達に従うまででした。

 

 

最期まで

 

母が宮崎で暮らすようになって7年くらい経った、第3子が1歳の頃です。

 

突然母が倒れたと連絡が入りました。命に係わるレベルで肝臓の値が悪いと。

 

正直このころの記憶が曖昧です。

 

兄と連絡を取り、とにかく急いで宮崎に向かうことにしました。

どれくらい滞在することになるかわからなかったので、子供たち3人も連れて行きました。これは正しい判断だったなと今思います。

 

母には知らせずに皆で病室に行くと、母は目を見開いてびっくりしていました。

でも喜んでくれ、好きなDVDを見せたり、お気に入りのぬいぐるみをベッドサイドに飾ったり、子供たちは折り紙を折ってプレゼントをしたりしました。

 

主治医から話を聞き、ほぼ確実に今回のお見舞いを最後に私は母に会えなくなるだろうと思いました。

 

カサカサになり、肝臓が機能していないせいで象のようにむくんだ足や手をマッサージしてあげました。温かかったです。

 

そして、宮崎に来る前、義母がメールをくれていました。

 

「私は亡くなった母に、最期にありがとうを言えなかったことをとても後悔しています」

 

絶対に言おうと思いました。

言い尽くせない感謝を、最後に、心を込めて、謝罪や後悔や尊敬や甘え、全部を込めて。

 

そして、東京へ帰る日。

最後の最後に、優しく母を抱きしめて、

産んでくれてありがとう、ここまで育ててくれてありがとう、本当にありがとうと伝えることができました。

 

母は、何で泣くのー!ママは絶対死なないから大丈夫だよ!とぎゅっと抱きしめてくれました。

 

ボロボロ泣いて、変わっていない母のぬくもりと匂いを体に染み込ませて、最後は笑顔でまたね!と別れました。

 

 

兄はその後も何度か宮崎に顔を出したようですが、私は3人の子供の面倒もあり、かないませんでした。

 

それから数か月後、伯母から訃報を受けました。

 

腹水が溜まって苦しい思いもしながら輸血も拒否し、最後までエホバの証人として生きました。

 

すぐに子供たちを義母に預け、宮崎へ。

いわゆるお葬式はしませんが、葬儀場の1部屋をお借りして、1晩だけ母と過ごしました。

母の好きだったスイートピーの花束をお棺に入れ、冷たくなった手に触れ、もう一度ありがとうと伝えました。

 

翌朝すぐに宮崎を発ったので、火葬にも立ち会っていません。

 

きっともう宮崎に行くこともないかな、母はどんな気持ちで東京に出てきたのかななど、一人飛行機で考えながら戻りました。

 

 

真理とは

 

享年60でした。私が中学校の頃から病気を患って15年以上。ずっと薬漬けで、体も心もボロボロのまま、家族とも離れて生きた母の人生。

 

人生とはなんだと考えさせられました。

永遠の命とは、楽園とは、真理とは。

家族、愛、信頼、すべて不確か、ゆるぎないものはなく。

 

母は幸せだっただろうか、復活を信じていたけれど、それで本当に満たされていたのか。希望ってなんだろうと思います。

 

組織的には死ぬまで信仰を貫いた素晴らしい人扱いなのか。楽園にいけるから良かったね!なのか。

 

母は本当に最期まで強く優しく明るかったです。私はその母のように、目の前にいる子供たちに愛情を注いでいくつもりです。

 

親孝行ができなかった分、子供たちに愛を伝えて、幸せとは何なのか、考え続けていきます。

1世として生きた母

家事も子育てもエホバの証人としても

 

私の母は宮崎県生まれで、大学進学のために兄を頼って東京へ、在学中に父と出会い結婚、1年ほど小学校の先生として働き、兄を妊娠したのをきっかけに専業主婦になりました。

 

千葉にいた姉がエホバの証人だったので、連絡を受けた地元の会衆から姉妹が派遣されて訪問を受けたようです。

 

訪問を受けた頃はちょうど父親が亡くなった直後だったとかで、復活の希望を聞いてすぐに研究を始めました。

 

家への訪問、聖書研究の司会を請け負ったのは特別開拓者の経験もあった姉妹だったこと、またその姉妹も宮崎県出身だったらしくすぐに打ち解け、順調に伝道者、バプテスマを受けるまでになりました。

   

父は最初は結構な反対をしていたようです。出版物を捨てたり、集会や奉仕(伝道活動)から帰ってくるとチェーンがかかっていたり、離婚を切り出したり。

 

ただ、反対を受けるのは正しいことをしているからだという教えなので、めげるわけもなく、母は開拓奉仕を始めるようになりました。

 

私の小さい頃の記憶にいる母は、よく机に座って聖書研究をしたり、手紙の証言をしたりしていました。

 

反対に遭いながらの活動だったので、家事育児に手を抜くわけにはいきません。

いつも忙しく掃除をしたり、料理をしたり動き回っていました。

 

愛情深い人

 

そして教員を目指して上京して夢をかなえるような人なので、兄や私にもとても優しく、明るく、父のことも大好きで、家族を心から愛していました。

 

聖書の教えのとおり、父には頭の権としていつも立てていました。集会が終わると交わりもそこそこに、主人が待ってるから!と私たちを連れてすぐに帰りました。

 

開拓奉仕の傍ら、学校行事にもちゃんと参加してくれましたし、たくさん褒めてくれました。

 

手芸も得意だったので、学校で使う鞄やポーチは手作りでしたし、私とはビーズや裁縫で一緒に時間を過ごしてくれました。

 

学校から帰ってきてからものみの塔の予習や家族研究をしなくてはいけなかったのは、子供なりに嫌でしたが、母が一生懸命子供を教えようとしていたのはよくわかっていました。

 

家族も大切にし、何よりエホバの証人として生きていた母は、責任感が強く、一途で、素直でもあり頑固でもありました。

 

 

病気との闘い

 

私が中学生の頃ですが、学校の役員に選出されてしまい、慌ただしい日々が更に忙しくなりました。

 

ある日インフルエンザと思われる高熱に倒れ、1週間ほど寝込みました。

関節が痛い痛いと辛そうでした。

 

中学生の私は当時いじめを受けていたこともあり、自分のことで精一杯で、今思うと母の方に意識がいっていなかったように思います。

 

母は関節リウマチでした。

 

とても綺麗な字を書く母は、指が自由に動かせなくなり、痛みも辛く、大変辛かったと思います。

膝も痛くなり、行動範囲も狭まりました。今まで出来ていたことが、思うように出来なくなりました。

 

エホバの証人としての活動も、妻として、母としてできることも限られました。

 

そして、完全に言い訳ですが、多感な時期だった私はそれが嫌で嫌仕方がなかった。ゆっくりしか動けない母を疎ましく思うようにもなりました。

 

そして母はうつ病になりました。

 

その頃父は仕事が大変忙しく、兄も私も学生として自分の生活でいっぱいいっぱいでした。

母を顧みる人が、寄り添う人が、抱きしめる人がいませんでした。

 

聖書でいかに愛が大切が学んでいても、ちっとも心に到達していなかった。

いや聖書云々以前の問題で、私には人としての大事なものが欠落していました。

 

 

母は追い詰められ何度も自殺未遂もしました。パニック障害も発症、常に誰かがいないと駄目でした。

 

会衆の姉妹たちの助けもあり、1日1日をなんとかやり過ごしましましたが、父には毎日仕事場や携帯に帰ってきてほしいと電話。出ないとパニックを起こしてしまうので、父も常に気を張る生活でした。

 

その頃私は高校生になっていましたが、家族全員疲れ果てていました。


パニック症・社交不安症・恐怖症患者さんのための 認知行動療法やさしくはじめから
 

兄も元々キレやすい人間だったので、弱っている母とよく衝突しており、私が学校から帰ってきたときには喧嘩していて、母が最終的に6階の我が家から飛び降りそうになるのを必死で止めることもありました。

 

 

家族崩壊

 

父も自律神経失調症、兄は統合失調症の疑い、私もうつ状態メンタルクリニックで診断され、家族は綱渡り状態でした。

 

何年も、母が安定するために試せることは試し、可能な限り寄り添うようには努力しました。

それでも、宮崎にいる祖母(母の実母)が危篤になったのを大きなきっかけとして、私の結婚・育児などで家を出たこともあり、母は療養として宮崎で暮らすことになりました。

 

宮崎には3つ上の姉と1つ下の弟が住んでいて、基本的にどちらかが常に家にいるのと、生まれ住んだ実家の安心感、温暖な気候、高所恐怖症もあったので、6階の我が家から一戸建てになったのが良かったようです。

なぜ6階に引っ越したのか…恐らく父の希望を優先したんだと思います

 

もちろん宮崎で完全に安定したわけではありません。家族が大好きな人でしたから、当然寂しくて辛かったはずです。

宮崎と東京という簡単に通える距離ではないですし、高所恐怖症、さらに閉所恐怖症もあるので飛行機が乗れず、うつ病になる前の健康な時でも宮崎へ行くときは新幹線や寝台列車だったくらいで、気軽に東京に戻ることもできませんでした。

 

でもとにかく当時選べる最良の決断は、「宮崎で必ず誰かがそばにいる状況」でした。

 

つづく

エホバの証人と誕生日

エホバの証人は誕生日ケーキを買いません。

エホバの証人は誕生日を祝いません。

7月は私あぶあぶさんの誕生日です♡

いまでこそ、あー誕生日かー。美味しいものでも食べようかしら、だの、

旦那や子供たちがおめでとうと言ってくれたり、

手紙を書いてくれたりする素敵な日ですが、

 

宗教と無縁に生きた方にはわからない、

子供のころのキューっと心臓が痛くなる経験の一つです。

 

エホバの証人と聞いて、輸血の拒否や武道の拒否などが割と有名でしょうか。

誕生日を祝わない、と聞いたことがある方も多いでしょう。

 

根拠は、手本とするイエスキリストの誕生日を祝う場面が聖書に書かれていない、だとかイエスが産まれた日は占星術者(異教)たちが云々とか、

聖書に出てくる誕生日を祝う場面が確か2つくらいあるのですが、どちらも殺人が起きているからふさわしくないだろうという解釈でした。

   

悲しい気持ちになるのは本人だけではない

 

私は2世だったので、誕生日をそもそも物心つく前から祝っていないため、それ自体に特別悲しい思いを抱いた記憶はありません。

 

でも父は違います。

私を大事に大事に育ててくれた未信者の父はきっと悲しかったと思います。

それは私が今母親になったからこそ深く感じるものです。

 

子供の誕生がどんなに嬉しく、自分の人生を鮮やかなものにしてくれるか、

その1年1年の成長を祝える喜び。

 

それを宗教という結婚後に後出しで持ち込まれた存在によって奪われる悲しみは、

想像でしかありませんが、非常に大きいものだっただろうと思います。

 

そして祖父母もです。

小学校に入る前の記憶ですが、祖父母・両親・兄私で集まった時、

祖母が私の誕生日のお祝いとしてケーキを用意してくれたんです。

おぼろげながら、幼い私もまずい…と思いました。

 

お祝いしちゃいけない。でもおばあちゃんが用意してくれて、ニコニコしてる…

どうしよう…

 

母の後ろに隠れるしかありませんでした。

 

結局ローソクも立てずに普通に食べたんだと思います。

そのあたりは記憶がありません。

 

でも、祖父母や父の気持ちを考えると今でも胸が苦しくなります。

純粋に可愛がってくれている人たちの気持ちを踏みにじって、

悲しい顔をさせて。

喜んでくれるかなと選んでくれた表情など想像するといたたまれません。

   

 

他の離れた人たちはどうしているんだろう

 

私の場合は家族がお祝いしてくれるので、

誕生日=美味しいものが皆で食べられる!手紙やプレゼントまでもらっちゃって

HAPPYな日♡くらいにしか思いませんが、

 

他の組織から離れている人はどういう風に過ごしているんでしょうか。

 

家族が現役なら当然祝わないし、独身だったりすると自分のために今まで祝ってこなかったから違和感があって特別に何かをしたくないという人もいそうですね。

 

幼少期の周りの友達はお祝いパーティをしているのに、自分はみじめな思いをしてきたと感じている人は思い出したくもない、その頃の気持ちを封印しておきたいという人もきっといるでしょう。

 

逆に今までやってこなかった分を取り戻すかのように、特別な日!として自分にご褒美をあげる日にしているでしょうか。

 

 

誕生日を良い節目に

 

なんにせよ、新しく1年のスタートをきれるきっかけにして、これからの人生を充実させていきたいですね。

今私は挑戦したいこと、勉強したいことがたくさんあります。

育児でほぼほぼ時間は埋まっていますが…。

 

辛い経験でもあったけど、どうにか消化して、これからの人生の糧にしてやるぞと思っています。綺麗ごとかもしれません、でもなんとか今の自分を受け入れてもう一度生きなおします。

 

エホバの証人という立場にいたら得られなかったもの

私は今家族がいて、健康に暮らせていて本当に幸せです。

でもこれはエホバの証人という立場を捨てたからこそ得ることができたものです。

   

エホバの証人の結婚や子育て

エホバの証人は、この世との交わりは避けるように教えらえているので、結婚をするとしたら信者同士です。そして恐らくは子供も作りません。なぜか。

 

宣べ伝える業に支障があるからです。

若く元気な人は地元を離れて「必要の大きな場所」へ(まだ真理が広まっていない場所等)伝道活動をするために派遣されたりします。

 

そして、エホバの証人が抱く希望はこの今の世にはない、つまり真理を受け入れなかった人が滅ぼされる日を生き残った後の楽園にこそ生きる意味があると信じているので、この世で子供を産むなんて考えません

現役の時に、姉妹が出産しましたが旦那さんが未信者でした。

 

そして出産には輸血を伴う可能性もあるので、無用な危険は犯さぬ、といったところです。

 

結婚することや子供を産み育てることこそが幸せ!!!!とは思いません。

たまたま私の場合は巡りあわせで、旦那と結婚し、4人も子供に恵まれ、幸いなことに皆健康に過ごせているのでそう思うのです。

 

でも唯一の幸せ、とは言わないもののデカい。人生においてこの幸福感はデカい。

   

 

自己肯定感の欠如

 

エホバの証人として今現在熱心に暮らしている人はどうかわかりませんが、

少なくとも不活発になったり、離れた人は自己肯定感の欠如に悩まされていると思います。

 

組織の中で特権を得ていたり、大会でインタビュー受けただの、たくさん研究生を見出しただの、組織の中で褒められるようなことが起きても、それは全て「エホバのおかげ」なんです。

 

  • 校歌や騎馬戦をやりませんと先生に証言して許可を得た→エホバが導いてくれたおかげ

 

  • バス停で声を掛け、雑誌を受け取ってもらえた→エホバのおかげ

 

  • 今月はもう食べるお金もない、でも偶然差し入れなどで食料を得ることができた→エホバのおかげ

 

  • 正規開拓奉仕(フルタイムで伝道活動)、今月もノルマを達成できた→エホバのおかげ

 

  • 病気が快復した→祈りが聞き入れられた→エホバのおかげ

 

などなど、すべて良いことはエホバが導いてくださったから、助けてくださったから!と解釈するわけです。

 

 

どんなに暑く寒く、体調が悪く、家族の反対にあって、辛くとも我慢してやったことも全部全部エホバのおかげです。

良かったわね!エホバに感謝しなきゃね!と言われるんです。

 

組織内で心酔しているときはそれでいいんです。バプテスマを受けて神に献身しているわけですからね。

 

でもひとたび離れると、自分には何も残っていない絶望感、焦燥感はすさまじいものがあります。自己肯定感なんて微塵もありません。

 

この世との交流は避けていたため、友達はいません。信者である家族は排斥された元信者とは口も聞いてはいけないことになっています。

普通に伝道活動で無関心な人より罪が重いわけですね

 

仕事もフルタイムでバリバリしていたわけでもないので、不安定なまま社会に放り出されます。学歴だってせいぜい高卒です。

 

もう四面楚歌。

心が砕けている人が多いと思います。

 

 

たまたま若いうちに旦那と出会えた

 

私はたまたまラッキーだっただけです。

まだ若く血気盛んな時期に、割と土足で踏み入ってくるタイプwの旦那に出会ったので、思い切って離れて、虚脱感があってもなんとか生きられました。

 

そして子供のパワーもすごかった。

ただひたすらに愛情を私に求めてくれる存在がこの世に生まれたんです。

必死で何かを提示して得る愛情ではなく、純粋にただ私を求める我が子に私は生かされていると感じています。

 

自分が産まれてきてから存在していた「エホバの証人」は、無償の愛を説いていたけれど、私がただそこに存在しているだけでは肯定してくれませんでした。

 

旦那と4人の子供がくれる愛情は、私を人として認めてくれ、存在意義を与えてくれました。

11ヶ月娘 ぴよ

第4子 かわいい!!!

ただひたすらに可愛いです。ぴよちゃん♡

4回目の妊娠・出産ですので、私自身も精神的に余裕があります。

そして他の家族もそれは同じで、特に旦那は元々家事をやってくれる方でしたが、ますます磨きがかかり、産後は今までで一番ゴロゴロ過ごさせてもらいました。

 

赤ちゃん特有の甘い香り、フニャフニャの体、可愛い泣き声!

私だけではなく、ぴーこはじめ兄弟もメロメロになっています。

 

産まれてしばらくは、泣いてもバウンサー(↓こんなの)に乗せればスン…と寝るし、

 

 

3ヶ月くらいになれば笑顔も見えて、ますます虜にしてきます。

 

頭が動かせるようになって、後頭部がハゲて、皆でおハゲちゃん♡と呼んだり。

お肉がついてきて、もちもちになってくるのでおもちちゃん♡と呼んだり。

それはそれはもうため息が出るほど可愛いです。

 

 

懐かしやあの頃

 

一番上のぴーこの時は、初めての育児に毎日ボロボロで、私自身が泣いたり怒ったり、

必死でした。

 

おっぱいあげてもダメ、ミルクも飲まない、げっぷだろうか、おむつはどうだ、外に出てみてはどうか、ひたすら抱っこして、部屋をぐるぐる回って、縦に揺れ続けて…と

毎日疲弊していました。

 

それに一番辛かったのは孤独感で、どんなに娘が可愛い表情を見せても、リアルタイムでそれを共有できる人がそばにいない、一日誰とも話さなかったというのも珍しくはありませんでした。旦那もまだ育児にピンときていない頃だったし。

 

それが今は上の子たちが騒がしく、一緒に可愛いねぇと目じりを下げてくれる。

ぴーこは抱っこもしてくれる。写真を撮ってくれたりも。

 

育児は時間なり、感情なりを誰かと共有できるととても楽しく、余裕が持てます。

そして旦那の意識が変わったことも本当に大きかったです。

 

洗濯、料理、掃除を仕事を終えてヘトヘトなはずなのにやってくれて、

それに加えて私に いつもありがとう なんて言ってくれるのです。

大げさじゃなく私は今が一番幸せです。

   

今ぴよは11ヶ月ともう1歳まであと少し。

本当にあっという間で、ねんね期のあのホヤホヤ感がもう味わえないかと思うと無性に寂しくなります。

 

ひたすらおっぱいを飲んで寝ていた子が、高速ハイハイで家中を縦横無尽に動き回ったり、つかまり立ちをして机に顎をぶつけて泣いたり、何秒か一人で立てるようになってきています。ヘッドガードを買おうかと迷いましたが、絶対ブンッっと取られるので諦めました(-_-)

 

 

 

さすがに経済的にアップアップなので、もう自分の子として新生児を抱くことはないでしょう。

これからは、目の前にいる4人の宝物を必死で守っていくだけです。

 

スマホがあって撮りたいときにすぐ撮れる、愚痴を言いたくなればTwitterがある、

安くて可愛い洋服も手に入れられる、そして忘れっぽい母親の記憶代わりのブログも書ける、いい時代に子育てできて嬉しい!

 

 

 

3歳娘 ぴっぴ

3歳娘ぴっぴは保育園年少さん。

フリフリヒラヒラ!ピンク!キラキラ!

ディズニープリンセスプリキュア!が大好きな女の子です。

 

この子は1歳くらいのまだお話もできるか?くらいの頃から、

人の顔を見て、こうすると笑ってくれるなとわかって面白い表情などをする

なんだかひょうきんな子です。

 保育園の連絡帳にも毎日面白いネタがつきない、笑いをもたらしてくれる子です。

 

3番目ということもあって、人の注目の集め方がわかっているんでしょうかね。

 

 

妹ぴよが産まれたこともあり、母を独り占めできず葛藤の日々ですが、姉ぴーこ&兄ぴーすけと一緒に遊んだり喧嘩したりなんだかんだ楽しそうです。

 

本棚から何冊か出して、保育園の先生の読み聞かせの真似をするのが面白くて、

「〇〇くん!」と恐らくちゃんと聞いてない子を怒っているところや、

近くで聞こえる私やTVの声に引っ張られて、本の文章に聞こえたセリフが加わったり。

 

うちの子たちに人気の「10ぴきのかえる」

 

 

 

面白くて可愛い盛りのぴっぴですが、

とっても我が強い一面もあり、特に兄に強い!w

口が達者で、気の優しい兄が泣かされることもしばしば。

お姉ちゃんには従順なのに…w

兄ぴーすけが何か言うたびに、

 

「違うし!」とか、

「そうじゃないでしょ!」なんて。

 

姉には勝てないのがわかっていて、兄はライバル視してるんですかね(*''ω''*)

 

 

私としては当然4人を平等に扱いたいわけですが、実際一番下がどうしても手がかかるわけで…

先日保育園で親子遠足があり、下の子は保育園でお留守番、ぴっぴと二人だけの時間があったのですが、やはり嬉しそうなこと!!

ちゃんと1対1で向き合えて私も普段の心のつかえが少し楽になったし、ぴっぴもきっと心に残ったんじゃないかと思います。

 

でもイベント時だけじゃなくて、普段からできるだけ2人だけの時間を取ってあげたい。ついごまかしのプリキュアのお菓子、とかになってしまうけど、子供が本当に求めているものは違うもんね。

 

夏はプールに連れて行って、もしくは庭にプール出してたくさん思い出を作ろうと思います♪

道路に面しているから、衝立かなんか必要ですよねー。

どんなのがいいんだろう?

 

今の時期は庭の木から柿の小さな青い実が落ちてくるから屋根つきがいいかな

 

小1息子 ぴーすけ

4人兄弟の唯一男子ぴーすけ。

甘えん坊の優しい男の子に成長中です。

 

道に咲く小さなお花を見つけて

 

「みて!おかーさん!

 かわいいねぇ!」と教えてくれる、可愛い息子です。

 

他にはお姉ちゃんのぴーこに影響されて、すみっコぐらしが好きだったり

ドラえもん、特にミニドラが大好きです。ちまっとした可愛いものが好きなんですね。

 

そんなぴーすけは、保育園の時はすぐ泣く繊細さで

よく先生に「今日もまた…」と毎日のように報告されてました。

 

小学校に上がってからも、登校中に

「おかぁさんにあいたい…」と泣いてたよ、とお姉ちゃんから報告があったり、

 

 

学童では、やんちゃな乱暴な子がいることにとてもストレスを感じて、

毎朝のように学童やだと泣いていました。

 

ただでさえ小学校という新生活に、手に余る子がいる学童が加わればストレスですよね…

6月にその乱暴な子は辞めさせられたのか、いなくなったので胸をなでおろしているところです。

 

学校生活はそれなりに楽しいようで、今日はひらがなの〇をやったよ!とか、

〇〇先生がねーといろいろ話してくれます。

入学当初は、今日は何やったのー?と聞いても、忘れちゃった!とその時その時を必死に生きてんだろうなーという感じでしたが、やっと2か月を過ぎて、余裕が出てきたんでしょう。

 

宿題は学童でやってくるのもありますが、お姉ちゃんのぴーこがしっかり者なので、背中を見てか、ちゃんとこなしています。

 

ドラえもんが好きなこともあり、漢字のドリルを渡したのですが、あっという間にやってしまって、次は何がいいかなーと探し中です。

母は算数・数学が苦手だったので、早めに楽しいなーと思える方向にもっていきたいなとは思っていますが…

 

一番下の10ヶ月の妹ぴよが可愛くて仕方ないようで、つかまり立ちを楽しんでいるところを巻き付きにいって、泣かれていますw

 

そして隙あらば抱っこしようとして、姉ぴーこに

「しなくていいから!」と怒られています(;´・ω・)

 

男の子は、お腹から出てきた時から 宇宙人 感がありましたが、

何度言っても指示が通らなかったり、謎の動きをするし、常にケガしてるし、

目が離せない!!とイライラしがちなんですが、

 

妹ぴよが母の元にいない時を見計らって、くっつきにきたりするあたり、

まだまだ可愛いなぁ~、このまま純粋に育ってよーと願ってます(*'ω'*)

小4娘 ぴーこ

小4の娘、ぴーこについて。


2200gくらいに小さく産まれた彼女は、今でも細くて小さい方だけれど、
本当に気立てが良くて、兄弟の面倒もよく看てくれる頼れるお姉さん。
 


両家初孫で、ひたすらに皆に可愛がられて、まさに目に入れても痛くない!といった感じで育てられたぴーこ。
 
学校でも先生には居てくれて助かってますと褒められ、成績も今のところ問題なし。
 


 
母である私としては、
きっと不足の多い親だから、しっかりせざるを得なかったのかなー(*ω*)
育てやすい子を授かったのかしら。。という感じです。
 
まぁ、5年生6年生 そして 中学生や高校生になるころには
がっつり反抗期を迎えるでしょうし!
今のうちにのんびり子育てします(*´з`)
 
 
4年生になるとクラブ活動が始まり、自分で興味のあるクラブを選び月に1回程度活動します。
 
習い事もしていないし、体動かすやつやればいいのになーと誘導してみたのですが、即断られ。。
 
結局パソコンクラブにしたそうです。
 
私が仕事でパソコンを使っているのでその影響のようです。
ちなみに私は運動嫌いです。。。完全に親の影響ですw

 
そのパソコンクラブのメンバーは先輩たちも含めて本人曰く「あたり!」だそうで、
マイペースで人見知りの彼女としては嬉しかったようです。
 
昨日はタイピングやった!と報告してくれました。
ローマ字読みの練習にもなるからいいですよね。
 


今や小学校でも英語や、PC&タブレットの授業もあり、
親としては お…大丈夫か?と何となくついていけるか心配になってしまいます。
でもスマホとかネイティブ世代だもんなー。
ついていけないのは親の方ですかね。。。
 


パソコンクラブではそのうちプログラミングとかもやるそうで、
今いろんなところで取り上げられてますよね。


Eテレでも Why? Japanese people!?でおなじみの ジェイソンが教えているのを、
ついつい親の方が へぇ~としっかり見てしまいます。


私自身が時間を取って勉強したいと思っていることなので、
そのうちぴーこに教えてあげられるようにやっておかなきゃと思っています。



今の時点でできることは、とりあえず難しそう!とか、大変そう!と思わせないように、遊びの一環としてプログラミングに触れさせてあげようと思っています。
 


去年MENTA というオンラインサービスが始まったようで、プログラミング系のサポートを月額制で受けられるみたいです。
  
スキルシェアってこれからどんどん注目されていくだろうし、身につければ在宅で自分が教える側になれるだろうから、すごく魅力的。子供の方が吸収力あるから、どんどん勉強して、スキルをつけてくれるといいなー。
 
 
クラブ活動は月に1回しかないから、本人がどんどんやってみたいということであれば、小学生向けのプログラミングスクールもありですかね。
 
   
プログラミングって思考力が身につくだろうから、きっと他のことにも活きていくはず。このまま興味を持ち続けてくれるといいなぁ。

この世

世=真理を求めない人々・この世の中

 

少し前の世界仰天ニュースでも扱われたところの

「世」の友達を作らない。って話です。

 

今考えてみると、1世の母は兄を産んだ後に聖書を学び始めたので、

ちゃんと青春を謳歌し、高校大学と学び、志望する教職につき、結婚し、子供にも恵まれという実に充実した時間を味わってきたんだなと思います。

   

 

我ながらよく耐えた

 

2世は就学してからが本当にきついですよね。

それまでは会衆の仲間に可愛がられて、愛や平和を学んでいる人たちだから、悪口はないし(表向きには)、いじめなんてない(表向きには)ところでヌクヌク成長するんです。

 

それが外に出てみれば、やんちゃな暴れん坊はいるし、悪口や仲間外れは当たり前。

そこに謎のシューキョーをやってる奇怪な子が入れば、いじめられるか腫物扱いかって感じです。

 

しかも校歌は歌わない、国歌なんてとんでもない、騎馬戦やらクリスマスや花祭りなどの背景に宗教が絡んでいるものも拒否とくれば、先生からも直接的、間接的に面倒臭がられたり攻撃されたり。

 

この世の子とは遊ばない!と言われているから、表面的な付き合いしかできず、

どんどん輪からはずれていく。グループ活動、宿泊関連の行事の苦痛たるや…

 

これを迫害を受けるのは、イエスと同じく正しい道を歩んでいるからこそです、むしろ喜びましょうと教えられるもんだから、心はぐっしゃぐしゃです。

   

 

本当は流行りのTVアニメや音楽番組が見たい、流行りのファッションを試したい、放課後みんなと遊びたい、親や先生に反抗したいとか色々抱え込んで、でも王国会館ではニコニコ顔で模範的な少年少女でいるわけです。

心も体も学校で疲れ果てていても、週3回は集会(今は減ってるんでしたっけ?)、休日は暑かろうと寒かろうと伝道です。

 

これを洗脳だ!とか虐待だ!とか叫びたいわけではないんです。

なんか、すごい頑張ってたな自分…という回想です。

これを離れる20歳くらいまで続けてたんですもんね。

ゆがむわw

 

 

この世の仕事

 

そして中学・高校と進んで、仕事のこともうっすら考えるじゃないですか。

私のいたころは高等教育はそこまで勧められていなかったので、皆高校に行くとしてもNHK学園(通信制)とか、実生活に(楽園に行ってからも)役立つ家政科とかでした。

 

でもとにかく、この世でお金や仕事を追い求めるのは危険だ、それは空しいことだと耳にタコができるくらい言われてきているので、とにかく危機感がないというか普通に生きていくための仕事につくことも危ういんです。。

 

私たちは楽園で生きることを希望しているのだから、この世で何かを成し遂げようとするのは愚かで、空しい。だから正社員で働くことは避けて、伝道活動に時間を最大限充て、パートとかで食いつなぐのが皆に褒められるという感じです。

 

 

井の中の蛙大海を知らず

 

そして、何かのきっかけで離れる。

するとですよ。何も残ってないんです。

学歴も仕事も、友人も、貴重な青春時代や青年時代も。

恐ろしいことです。時間は戻らないですもんね。当たり前ですが。

 

自己肯定感なんてものもありません。全身全霊を神に捧げて生きてきたわけですし。

エホバの証人という枠の中では、高い地位にいた人でも、

一歩外に出れば、ただの人。

 

よりむしろ宗教やってた人?やばい人?というレッテルも背負い、批判や悪意が向けられることが基本的にない世界にいたからメンタルも弱い。

 

ここから這い上がるには相当精神力や時間が掛かります。

疲れ切ってしまった人がほとんどだと思います。

憎しみ、恨みに変わっている人も少なくないはずです。

 

 

生きなおす

 

それでも。

生きなおせます。

 

心の中で成長を止めてしまった小さな自分と一緒に、

ちょっとしたことに喜び、美味しいものを食べ、少し自己研鑽。

運動でも勉強でも。頑張ったら自分を褒めて、自分にご褒美をあげたり。

やったことのないものに挑戦してみたり。

 

思い出して苦しくなったら書き出してみたりして、

自分はこれを耐えてここまで生きてきたのか、生きててエライ!!とまた褒めて、

少しずつ自己肯定感を成長させることができるといいですね。

 

私は子供がいるので、子供の通っている校歌を一緒にお風呂で歌ったり、イベントごとで国家をしっかり歌ったり、騎馬戦を大声で応援したりしてあの頃の我慢を消化しています。

髪を染めたり、流行りの服を着たりするのも少し心の解放になっています。

 

あとは大学を中退してしまったので、今通信制で勉強中です。

 

ADHD傾向があるので、いいこと思いついた!…でもやっぱり無理~の繰り返しですが、なんもしないよりましだよねと自分を励ましています。

 

この世は確かに空しいこともたくさんありますが、何度でも立ち上がってみせます。

過去を引きずれば引きずるほど、時間は消化されます。

憎い気持ち、辛い気持ちをヨシヨシと慰めて少しずつ小さくしていきたいです。

楽園の魅力

元JWの皆さん、現役の皆さん

そしてエホバの証人ってなんだ?

エホバの証人のせいで!と色々な疑問や感情をお持ちの皆さん

 

楽園って魅力的ですか?

 

 

よく聞く、近い将来に来る楽園では、

 

死や病気におびえることはない(永遠の命)

死者の復活

戦争・犯罪・武器などの恐れるもののない生活

凶暴な動物も穏やかになる

豊かな自然

などなどが実現すると教えられてきました。

 

1世として、聖書を学んできた方の最初のきっかけは

家族や友人の死を経験したり、病気に苦しんでいる時に訪問を受けて、

というのも多いでしょうから、とても楽園は魅力的ですね。

 

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ところが、日本にいる2世が楽園に持つ印象というか惹きつけられる点って

実は少なくないですか?

小さい頃から病気に苦しんでいたりすれば別ですが、

いわゆる普通というか、保護者がいて、学校に通えて、

毎日の着る服も食べるものもある、という生活を送っていると、

楽園…行ってもそれが永遠に続くとなると、生きている意味、生きがいってあるのかな。。。なんて思ってしまいます。

 

私が献身したころの気持ちとしては、

神に愛され、愛にあふれた世界で、優しい家族や友人たち、可愛い動物たち、美味しいものもふんだんにあって、ずっと幸せに暮らしていけるなんて!

と思っていましたが、

 

今いい歳になって、子供もできてという生活を送っていると、

楽園、はりあいがないかもな、と思うのです。

 

 

もちろん、毎日のように子供が巻き込まれる事件や事故の報道を見聞きしたり、

災害や友人の死や母の死などに直面すると、苦しくなり無くなればいいのに!と強く思います。

 

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楽園で何する?

 

でも仮に楽園に行けたとしても、いずれ子供たちの手は離れるし、最初の頃は地上の楽園化の仕事に忙しいでしょうが、いつかはやること無くなりそうじゃないですか。

 

死なないわけだし。老化もしないから、どこかでみんな成長が止まって、人口増加も限界があるだろうから、子供を産まなくなるんですよね、きっと。

子供産んでみて思うのですが、赤ちゃんてとにかく可愛いんですよ。もう心臓がきゅーーーっと締め付けられるくらい可愛いんです。それが楽園ではいつか味わえなくないわけですよね。つまらん。

 

楽園て、神に従うものだけが生きる世界になるわけだから、伝道活動もいらなくなりますよね。じゃあ何して暮らすんだろう。

自然を愛でて、動物の世話をして、芸術活動したりとか?神への崇拝の時間はありそうですよね、たぶん。でも1日中じゃないはず。

 

そんな毎日が永遠にですよ?永遠に。

 

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限りがあるから面白い?

死という終わりがあるから、

遠くに住む友人に久しぶりに会えたら嬉しくて、限られた時間めいっぱい楽しんだり、

日記を書いてみたり、

絵を描いてみたりして自分の時間を充実させようと思うんではないかと思うんです。

 

平和な時間が永遠に続くなら、まぁいつでもいっかってなりそうな気がします。

感動が薄れる。

 

人それぞれ、何に魅力を感じてエホバの証人になった、もしくは続けたかは違うと思うのですが、それはきっと現状に不足があるからですよね。

健康状態、家族友人関係、仕事…などなど。

その不足がなくなったとき、何を求めて生きるように人間は設計されているのでしょうかね。

排斥

中3でバプテスマ(すべてを捨てて神に献身する)を受けたんですが、思春期真っただ中。

だらだらとした反抗期を過ごしているなかでした。

そして未信者の父が高校に行かないなどという選択肢は与えなかったのもあり、

エホバの証人内では割と多い通信制の高校ではなく家からほど近い高校へ。

 

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アルバイトもし、ある程度の自由を得たところで徐々に聖書への関心は薄れていきます。それなりに集会へ行けば話に感化されたりしていましたが、今思うと伝道活動はおろそかだったし、正直面倒でした。

 

でも高校の体育祭と、年に何度かある大きい集会(大会)がかぶったら担任に証言して休んだりと健気にエホバの証人として暮らしていました。

 

関係ないけど、当時私をエホバの証人だと知って、某イスラム過激派の首謀者の名前で呼びあざ笑い、色々けしかけてきたM君、許してませんからね。高校生にもなってあれはないぞ。

 

そして高校は卒業し、またまた進学を当然と思っている父を納得させるため、

大学受験&落ちて一浪。

 

 

さて大学決まったしバイトしようと、入った勤務先で運命の出会いをしてしまったんですね。旦那です。

 

産まれてからずっと、聖書の教えさえ守ってればOKの、完全受け身で育った私に、

グイグイ系の人間の行動力の輝きたるやw

 

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そして職場の飲み会で事件は起きます。

新人歓迎会で見事につぶれ、なんとも素晴らしいタイミングで同じ会衆(集会をするグループ)の兄弟(エホバの証人はお互い兄弟姉妹と呼び合います)に見られたんです。

 

酩酊は聖書で禁止されています。私は当時バプテスマを受け、神に献身した身です。

でもまぁ、ここで反省していれば恐らく厳しい注意を受けて終わりだったんだと思います。

 

しかし私はしばらくしてから旦那とある機会に食事に行き、一線を越え、

気持ち的にも組織から離れていて、自ら長老(会衆をまとめるリーダーの兄弟)に電話をして、未信者と関係を持ったと告白しました。排斥してくれや、ぐらいの気持ちでした。

 

長老たちとの話し合いが設けられ、酩酊の件と合わせて反省の機会が与えられましたが、私は旦那をとると宣言、反省を拒否しました。

 

長老たちは私が幼い頃から知っていたので、娘を見るような目で悲しそうな顔をしていましたが、それでも心は動かず、そのまま王国会館を後にしました。

 

母も相当悲しんでいました。でももう心が離れてしまっていたので、どうしようもありませんでした。楽園に魅力を感じなくなっていたし、今まで悪に満ち溢れていると教えられてきた世の中が捨てたもんじゃないと知ってしまったんです。

 

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そして現在に至るわけですが、2度ほど家に訪問を受けたことがあります。

速攻で「排斥された身なので」と断りました。その時の兄弟姉妹のこわばった顔w

 

今は母も亡くなり、兄も組織から離れているので、駅前で立っている兄弟姉妹を見かける以外は接点はありません。

 

恐らく今後もないでしょう。

永遠の命は得られなくとも、今目の前の家族と幸せに、寿命を全う出来たら最高です。

エホバの証人だったことについて

大抵のエホバの証人に関するブログや本などは、批判やどれだけひどい目にあったかを暴露する目的で書かれています。それだけの積もり積もった感情が手を動かすのでしょう。

 

私の立場は、

 

「私はもうやらんけど、信じている人の気持ちもわかるし、批判する人の気持ちもわかるから、何とも言えん」

 

って感じです。

 

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エホバの証人じゃなければ、きっともっと自由に人生を謳歌していたはず、

進路も自由に、友人関係や恋愛、趣味や着る服も違ったかもしれないと思います。

 

就学前から、2時間ほぼ座りっぱなしで、講和を聴き、メモをとり、集中が切れているのがわかればつねられたり、帰ったらお尻たたくからね!と脅されたり、

 

行きたくなくても、雨が降ろうと、暑かろうと何時間も伝道活動について行ったり、自ら証言したり、

 

学校でも必要以上に友達と仲良くはしない、校歌や騎馬戦などの拒否のために証言したり、と課せられることは多かったですから。

 

 

でも、本気でもうすぐ楽園がくる、みんなで一緒に平和に暮らしたい、そのためには神に従わないと!神エホバの証人として活動しないと!って純粋に思っているわけです。

 

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きっと宗教が身近になかった人からすると、何言ってるの?なんでそんな根拠もないことを信じられるの?落ち着いて?って感じですよね。

 

でも中の人としては、「空気は見えないけど確実に存在してる」って感覚で信じてるんですよ。当たり前なの、神が。聖書に楽園がくるって書いてあるもんね、じゃぁくるよ!じゃあ皆に教えてあげなきゃ!神に従う人しかいけないから、皆に伝えて仲間にしなきゃ!って。

 

その純粋さで、自分自身や自分の子供に輸血が必要になっても、(血を取り入れるのが聖書で禁止されていると解釈しているので)楽園いけなくなって永遠に生きられなくなる方が悲しい!と拒否するんです。

 

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私の母は、元からとても純粋で素直だったのでそこに信仰が加わると、なおさら真っすぐに神を信じ、敬虔に教えを守っていました。

その姿をずうううううっと近くで見てきたので、きっと私は組織から離れてもエホバの証人を真っ向から否定できないんですね。

 

 

とはいえ離れたわけです、結局は。

排斥(強制的に追い出される)されたんですが、内容としては断絶(自ら離れる)でした。

 

 

排斥までの話はまた。

二世ということ

二世ということは、当然産まれてからすべての基盤がエホバの証人の原則を元にしたものになっていて、いわゆる「一般常識」も聖書の原則に合うものだけが教えられるわけです。

 

うちの場合は、父が未信者だったので、可能な限り普通の道に進むように働きかけてくれたのは今となっては幸いでした。

 

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母は、開拓奉仕といって1日のほとんどを伝道活動に使うくらいにはしっかりエホバの証人として生きていたので、幼い頃父とよく衝突していました。

 

 

離婚の危機も度々w

小学校に上がる前の頃、離婚しないでーーーー!と叫んだ記憶がw

 

 

まだ兄や私が小さい頃は、父も元々無神論者であったこともあり、結構激しく反対していました。父が休みの日曜日に集会へ行けば、帰ってきても家に入れてもらえなかったり。聖書やら書籍が捨てられないように、集会から帰ったらすぐ隠したりした記憶もあります。

 

子供からしたら、自らの意思で出かけたのではないのに締め出されたり、物を隠したりしなきゃいけないって結構理不尽。。。w

 

それでも母は、父のことが大好きで大好きでw

聖書に言われる前から元々父を大切にしてきたようです。

なので、エホバの証人の活動をする上で、父の反対にあい、きっとものすごく葛藤があったのではないかと思います。

とはいえ結局は聖書の原則通りに、うまく父を立てつつ、信教の自由を行使したわけです。そして、心から信じているからこそ(心から家族に楽園に行って欲しいから)一生懸命私たち子供に必死にエホバの証人として教え込みました。

 

反対する父がいない日中に、子供向けの書籍を用いて母から聖書の原則を教えられました。母はエホバの証人になる前は小学校の先生をしていたので、きっと教えたり本を読み聞かせしたりするのは好きだったんだと思います。

 

 

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二世への教育

内容は聖書なので別に悪いことを教えているわけではありません。

 

子供側は「親を敬う」

親は「子供は神からの賜物なので大切に」

妻は「夫の頭の権を認める」

夫は「妻を大事に」←忘れたw

とか、

嘘をつかないとか税金を納めるとか相対的な権威(警察とか)に従うとか普通に正しいことや社会生活を送るうえで大事なことは、

成人して家族を持ってみて至極真っ当よねと思うことです。

 

では何が世間的に、カルトと言われる所以となっているかというと、

何が1番大事か、それは神。神が言われることならば、すべて受け入れ、

反すると思われることは拒否せよ。という部分ですよね。

 

有名なのは国旗や校歌の拒否、剣道などの武術の拒否、輸血拒否、選挙拒否、

あとは先ほど書いた「相対的権威」への拒否。

いくら子は親を敬え、妻は夫を頭として扱う、警察などの権威に協力せよ、と言っても

それはあくまでも「相対的」なもの、神に従うという「絶対的」なものよりは優先されません。

相対的権威が、神への忠誠を阻もうとするなら全力拒否!です。

ここに家庭崩壊とかがかかわってくるわけですね。

 

なんというか、どうにもならないですよね。

信じている側は、純粋な気持ちで信じて守りたいし、

反対する側はなんで目に見えないいるかもわからない存在のせいで自分たちが拒否されるんだ!?と思いますし。

絶対に交わらない。

 

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二世として

私は二世として、そして離れた立場として、本当に微妙な気持ちになります。

 

純粋に信じて、素晴らしいと思って、なんとしても一緒に楽園に行って永遠に家族と暮らしたいと思っていた母(そして私)も気持ちを考えると、否定はできない。

小さい頃から巻き添えにするなんて!と怒る人もいるかとは思うけれど、

母は本当に純粋な人だったし、愛情深い人だったから、真面目に、家族を大事に思う一心で兄や私、そして反対する父にも懸命に伝えたわけだから。

 

でも離れてみて、「世」(世の中)に出てみて、教えられてきたほど悪い人はいなくて、エホバの証人じゃなくても良い人はたくさんいることを知って、あぁ最初からこれを知って生きてきたら違った人生が。。。と後悔というか正直恨みに近い気持ちもあるにはあります。

 

青春時代!!!!!とキーーーー!!となりますw

 

 

でも。結婚して4人の母になってみて、なるほどと。

母の子を思う気持ち。

いろんな悲しい事件や事故が起こるのを見て、次は我が子か。。。と心配になる気持ち。

 

永遠の命が、何の心配もいらない、死の恐怖もない世界が、自分だけではなく家族で享受できるなら!!信じてみよう、信じたいと思うよな、と。

 

最初は半信半疑でも、この教義がいかに信じられるものか説かれて、毎日それを考え続けていたら。そこに毎日のようにこの世では不安になる悲しくなるニュースが聞こえてきたら。

 

洗脳と言われるでしょうが、でもしょうがないよな。というのが今の私の本心です。