ADHDと元JWの思い出し手帳

未診断ADHD。元JW(エホバの証人)。四人の母親。

飽き性

熱しやすく冷めやすい!

 

結局ブログも初めてみたものの、続かない。

だろうなぁと思っていたけど、やっぱりねw

 

太陽がまぶしい季節になったし、もう一度、

少しずつやってみよー。

 

頭の中にどんどん思考があふれて疲れるから、

誰に見せるためとかではなく、ちょっとでも頭の整理のため、

気持ちの整理のために吐き出す。

 

あと、記憶力もないので、いいことも嫌なこともすぐ忘れるので、

ブログに落とし込んで、もう一個記憶用の脳みそとして使う。

 

インプットとアウトプットのバランスを取れるように。

忘れ物が多いーADHD症状

学生時代は特にひどかったです。忘れ物。

忘れ物をしない日はなかったです。

 

提出するプリントは親に出すのを忘れ、預かっても家に忘れ、先生に出すのも忘れます。

 

友達から借りたものも毎日のようにまた忘れた!と

約束も忘れて、待ち合わせをすっぽかしてしまったり。

とにかく何でも忘れて、

毎度人に謝ったり、どうにかその場を切り抜けてきました。

 

当然のことながら人としての信頼度は下がります。

友達がどんどん減りますし、仕事をしても大事な仕事は任せてもらえません。

 

作業効率が落ちるので、スピードが出ない、

出来上がったものの質も悪くなります。

 

そんな人がいるととにかく迷惑ですよね…

 

絶対忘れないように!と思ってメモしても、

メモしたこと自体を忘れているか、

メモが鞄の中でぐちゃぐちゃになっているか、

手のひらに書いても消えてしまったり、

それさえ気づかなかったりです。

おそらくADHDさんにはあるあるでしょう。

 

 

 

現在は文明の利器、スマホに頼り、とにかくすべてスマホのカレンダーに記入!

自分の脳みそには入れない!アラームありがとう!!という感じで過ごしています。

 

ただ、スマホの充電を忘れてアラームもならない。という経験も何度かあります。。

 

<iframe src="https://blog.hatena.ne.jp/abuabusan/abuabusan.hatenablog.com/subscribe/iframe" allowtransparency="true" frameborder="0" scrolling="no" width="150" height="28"></iframe>

整理整頓できないーADHD症状

小学校入学時に、学習机を買ってもらい、可愛いメモ帳やらペンやら自分なりに整理はしていたのですが、

机の中はぴっちり綺麗にしても、机の上はぐちゃーーっとなっていたり、いつまでも「きちんとしている」状態になったことはありませんでした。

 

じっくり時間を掛け、自分なりに よし!と思っていても、

直後に父に片付けるように言われたこともありました。

 

学校からのプリントもランドセルの中でいつもぐちゃっとしていましたし、服も整理できていないので、しわが寄っていたり、毛玉だらけだったりしていました。

 

髪の毛も櫛がずっと通らないまま過ごしていた時期もありました。

 

小学校の卒業アルバムを見ると、周りの友達はお洒落に目覚めて、ロングヘアをサラサラと伸ばしていたり、洋服もきちんとコーディネイトされているようですが、

私はクタクタのトレーナーだったりします。髪も癖っ毛をそのままにしている感じです。

 

 

 

こんな整理整頓が苦手で、身だしなみも整えていない私を見て母は何も言ってこなかったし、怒られた記憶がありません。JW(エホバの証人)の活動に熱を上げていて、子供になかなか手を掛けられなかったんでしょうか。

 

でも集会の時は三つ編をされていた記憶があるので、一応人目に晒されるときは気を付けていたんでしょうか。

 

もしかしたら母もADHD気味だったのかなー。もう亡くなってしまったから今となってはわかりませんが。父も仕事が忙してなかなか家にいなかったので、わかりませんね。

 

 

思ったことを口にしてしまうーADHD症状

ADHDの症状の一つ、衝動性。

 

ぱっと思いついたことをそのまま口に出してしまいます。

 

思い出すと、「あぁぁぁ穴があったら入りたい!!」と思うことや、

ものすごく敵を作りやすかった。。。というか現在進行形です。

 

<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- あぶレスポンシブ -->
<ins class="adsbygoogle"
style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-7989839383263189"
data-ad-slot="3892261010"
data-ad-format="auto"
data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
</script>

 

よく言えば頭の回転が速く、何か興味を引いたことに対して、

「つまりはこういうことね、ということはこうなるから、こうしなくてはいけなくて、次にこうすればいいのね。」と話が勝手にまとまり、

自分なりには筋が通っているのですが、

相手に伝えるのは最後の部分だけなので、「なんでそんな話に!?」と戸惑われたりします。

 

相手の包容力のおかげで、かみ砕いてもらえたりすればそのまま話が進められるのですが、そううまくはいかず、「何上から物言ってるの?」とか「決めつけるな」とか「一人で生きてんじゃねーぞ」だとか言われてきたりもしました。。

 

<script async src="https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"></script>
<!-- あぶレスポンシブ -->
<ins class="adsbygoogle"
style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-7989839383263189"
data-ad-slot="3892261010"
data-ad-format="auto"
data-full-width-responsive="true"></ins>
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});
</script>

 

そこに私の気の強さも相まって、人と対立することも多く、小学校の通信簿には毎回のように「協調性がない」と書かれていました。「人の気持ちを考えられるように」「言葉を選ぶように」なども。

 

これがADHDでなければ、いわゆる自己中ってやつなんでしょうね。上から目線で話しているつもりは全くないんだけどなぁ。

<iframe src="https://blog.hatena.ne.jp/abuabusan/abuabusan.hatenablog.com/subscribe/iframe" allowtransparency="true" frameborder="0" scrolling="no" width="150" height="28"></iframe>

ADHDと元JW―その2

つづき


ということで、産まれたときからずっと、
「ダメ」と「〜すべき」に囲まれ、

出来なければお尻を叩かれるなどして強制されてきたので、

今の日常生活において自分で考えて、組み立てて何かをする、完遂するという能力が壊滅的に低いです。





宗教的な活動においては指針が示されているからそれに乗れば良かったけれど、

離れた今は指針が自分なので、自分を捨てて生きてきたため、何をするにも時間がかかるわ、出来たと思ってもとても質が悪いのです。


いざ意見を求められる場面がきても、うっ…と止まり、

考え考え…でも早く答えねば!待たせてはダメだ!と、〜しなければならない、〜してはダメだの呪縛から離れられず、

トンチンカンな回答をしたり、とりあえず人の意見に賛成して終わるということになります。





ADHDは、不注意・多動・衝動性が特徴ですが、

私のその傾向は、ずっと〜してはダメ、〜すべきが常に渦巻いた脳から不注意と衝動性を生み出し、

そこに抗うように、それを考えないように、自分がやりたいようにやるように多動で心のバランスを取っているのではないかと思うのです。


時代の流れからADHDの情報が探しやすくなったり、宗教2世の経験談がいくつも読めるようになり、

自分が何者なのか、私にも色々な事に挑戦するチャンスがあるのだと考えることができるようになりました。

幸い結婚して子供もいて、健康で働くこともできます。
それが当たり前のようで全く当たり前でないと感謝することもできています。それなら、


人よりケアレスミスの数が多くても、
言ってはいけない事までつい言ってしまっても、
無駄に歩き回って時間を消費しても、

別にいいや。


遺伝的なものもあるというから、子供も苦労するかもしれません。
でも、きっと、ミスを減らす工夫を重ねて努力をしていれば、必ず認めてくれる人、支えてくれる人に出会い、なんとかやっていけるはずです。

なにより小さなことに感謝する気持ちを忘れなければ。
絶対に人は助けてくれます。




宗教活動に熱心だった母はすでに病気で亡くなりました。
愛情深い人で、とにかく一生懸命な人でした。
そしてお茶目で明るかった。

もし私のADHDらしい特性を宗教活動が生み出したものだとしても、母を恨むことはありません。

母は目に入れても痛くないほど大事にしてくれたし、
きっとだからこそ自分が信じていた、
神を信じ行動するものが救われるという聖書の教えを守らせたのでしょうから。


ADHDと元JW

エホバの証人とか、ものみの塔という言葉を聞いたことがある人、案外多いのではないでしょうか。

家に夫婦や子連れの女性などが、キレイめな服を着て、ピンポーンと来たり、

街頭に立って、ニコニコしながらものみの塔と書かれた冊子を手にしているスーツを着ている男性や女性がいたりしませんか?

あとは輸血を拒否する宗教団体、というと割とピンとくる方がいるでしょうか?





私の母が熱心な信者で、私は産まれてからずっと集まりに連れて行かれていたり、
母や他のお姉さん的存在の方々と家を回ったりしていました。

週に3度ほど仲間たちと集まって講演を聴いたり、人に宣べ伝えるのがエホバの証人の責務でした。

当然のことながら、仲間といるときだけではなく、

プライベートもすべて、エホバの証人として生活をしていきます。



母は一生懸命、私を聖書の教えに沿って育てました。
エホバという神への愛がすべての指針です。
だから神が人を使って書いた聖書に書かれていることがすべて原則になります。


聖書に書かれていることは、簡単なものでいうと、
嘘をつかないとか、大酒飲みは駄目とか、自分にして欲しいことは進んで人にもしなさいとか、普通にいい事だったりするので、
今でも聖書を学んだ事自体は特に後悔したりはありません。





ただし、

タイトルにあるとおり、私にとってADHDの起因となるようなしつけ、推奨される行動指針が積み重なり、
当時の仲間から離れて15年近くなる今でも

「宗教の教えのもとにいない人生であったら、もっと自分らしく楽しく生きられたのかな」と

なんとなく悔しくなることもあります。


週に3度は1〜2時間黙って話を聞き、
聖書を目で追い、メモを取り、
眠くてもつねられたりして起こされ、
あまりにも出来ていないと家でベルトや孫の手でお尻を引っ叩かれました。

それが小さい頃からずっとです。


子供なりにくしゃみも最小限にしたりと気をつけて、今でも変に小さいくしゃみしか出来ず、
初めて聞く人にはわざと可愛こぶってしていると思われてしまうこともあります。





集まりでは何度も何度もこの世の誘惑に負けないよう言われます。若い人は特にです。

小、中学校は義務なので通うことになりますが、高等教育は基本勧められていません。
できる限りこの世の中の影響を受けないようにするためです。


思春期の異性への関心や、流行を追うことは危険極まりないこととして、
何度も何度も避けるように話があり、
最大の関心事は神への献身であると教えられます。


年齢的に成熟して、時々仲間同士で結婚される方もいますが、独身を貫く方も高く評価されます。
子供を産むことはあまり聞きません。
神への献身を表す活動がしにくくなるからです。


すでにエホバの証人から離れて15年近く経って、振り返るともう本当に閉鎖的…

宗教だからそんなものでしょうけどね。



とにかく〇〇は駄目、これは聖書の教えに沿っていないから危険、あれも神に敵対的だから避けて…とたくさんのダメに囲まれ、


逆に伝道活動は今月何時間やったか報告、
集まりで行われる伝道活動のリハーサルのようなものを台本づくりから、
家では毎日聖書を読む、
毎月2回発行されるものみの塔や目ざめよという冊子やたくさんの書籍を読むなど

やらなければならないことはたくさんありました。お陰で本を読む力、話を聞く力、話す力はつきましたが。

つづく


ブログを始めたきっかけ

ADHDか性格か


大人になって、ある程度自分を客観的に見られるようになって、あぁ本当に周りの人が普通にやれることが抜け落ちているなぁと実感します。

片付けができない、遅刻、やるべきことの抜け落ち、忘れ物、思いついたことをその時にしないと気が済まない…

でも、皆大なり小なり同じようなものだろうし、
仮に病院に行ったところで、不注意・衝動性はあるけど多動は思い当たることがないし、
性格かもねー。くらいに思っていました。

ここ数年、発達障害とかADHDの話がどこかしらで目に入ってくるようになって、

うんうん、完全に私だわーという気持ちと、
まぁ何かしら皆当てはまるよねーという気持ちを同時に持ちながら閲覧していました。




そして先日、ヤフーニュースか何かの記事から飛んだあるADHDの診断を受けている方のブログサイトを読んでいて、ある一文がすっと入ってきました。

"注意欠陥や多動もひどくなります。湯船にお湯を溜めたまま忘れてお湯が溢れたり、用事もなく外をうろうろしてしまいます。"

用事もなく外をウロウロ…あれ?これも多動なのか…

もしや普段の私そうかも…

何か用事があって外へ出ると、いろんな店をはしごするんです。そして1件あたりが無駄に長い。

自分なりの理由を探して、ついでにあそこも、あっちも行っておこうとなって端から端まで見て回ってしまいます。

必要なものだけ買って、最短で帰るというような経験はあまりありません。
うーん、割と女性は多そうだけど。。

でも初めて、多動は当てはまらないなと思い込んでいた私の頭に直撃してきた一文で、
あぁ、そうかと妙に納得してしまったのです。



今更診断を下したところで大きく変わることはないけれど

そして、このブログサイトを読んでいて、
ADHDの診断をうけるための問診で、
小さい頃から抱いていたモヤモヤを医師に受け止めてもらってホッとしたという場面で涙が出てしまいました。
その安心感、羨ましいと思いました。



私も自分のこと整理してみようかな、
文字にして心の底にしまってあるもの開放してみたいなと思い、

ブログいいかも。と思い立ったが吉日で、早速書き始めたのでした。



そして自分の人生において大きな影響を与えたエホバの証人という生き方、

そして家族、特に子供4人のことを

ADHD傾向からすぐに忘れてしまうので、記録として残したいと思っています。




家族

子供は上から小4娘ぴーこ、
小1息子ぴーすけ、
3歳娘ぴっぴ、
10ヶ月娘ぴよです。

とにかくにぎやかです!!家が狭いw

旦那は育児はほぼノータッチですが、家事は率先してやってくれます。

休みが週1しかないし、どんなに忙しくても一生懸命サポートしようとしてくれます。

1日が台風のようにあっという間に過ぎて、1年もあっという間。

気づいたら長女はミニママで、良き話し相手。

でもやっぱり私の中でそれではダメで。

ちゃんと1人1人と母と子として向き合いたい。

時間が本当にないし、下の子が優先になってしまうのを

しょうがないと諦めてしまうと、きっと子育てが終わったときに

後悔するだろうと思って。

ちょっとした一言、一緒に見たもの、心を揺さぶられたこと、

なんでもここに書き留めて、何十年後かに宝物にとして振り返れるように。

よろしくお願いいたします。

きっとADHDなんだろうなぁ―小学生

片付けが苦手。

自己紹介をする時に一番に頭に浮かぶのが、これです。


記憶が割と残っている小学校低学年の時期から、片付けが苦手でした。

自分で言うのはなんだけれど、真面目な方で、きちんとしたいという気持ちは強い方だったと思います。
だから、自分なりに整頓するようにしていたし、角と角を合わせる、みたいなことは大好きなのです。





強く残っている記憶の一つに、小学校1年生か2年生の頃、担任に親子で指導を受けたというものがあります。

下校時刻を過ぎて誰もいなくなった教室で、いつも私の机だけ色々な荷物が置いたままなのだそう。

きちんと片付けないとダメだよと言われて、私は心の中で

「えっ?なんで?すごくキレイじゃん!えっ?」

と不思議でしょうがなかったのを覚えています。



置いてあるもので記憶があるのは、紙コップに入れた何本かのペンと、履き口を丸めた靴下。
他の物を合わせて机の1/3を占めていました。

それでも、帰りの会が終わった時にちゃんと物を揃えて並べたりして、自分なりに片付けたつもりだったんです。


その頃は普段おりこうさんで通っていたので、
叱られたことが猛烈に恥ずかしく、顔が熱くてしょうがなかった感覚を覚えています。



空気が読めない。

頭に浮かんだことがすぐ口に出てしまうんです。
それが正しいかとか、友人がどう受け取るかとか、話して良いときか、考える前にもう口に出しています。

何度友人とぶつかったか。
内容は覚えていませんが、小学校1年生か2年生のころ、普段優しい担任の先生が私を外の座れるところに呼び出して長い時間叱りました。
なぜしたのか、なぜ謝らないのかをずっと聞かれていた気がします。

ぼんやりと暑いなぁとか、早く終わらないかなぁと考えていた覚えがあります。
全く聞いてない…w


空気が読めない、に関してはADHD傾向があったからというのと、

元JWとして小さい頃から聖書を読み、人を説得させる話し方や、
ノウハウみたいなものを学んでいたので、周りの子よりも多少知識があったり、

保育園や幼稚園に行かず、伝道活動をしたり、大人に囲まれて生活していたので、
人前で話すことに抵抗がなかったというのもあると思います。

学校の授業中、先生が間違えれば嬉々として指摘するし、
友達にも正義を振りかざして追い詰めたり。

今思うと本当に申し訳ない…