エホバの証人という立場にいたら得られなかったもの
私は今家族がいて、健康に暮らせていて本当に幸せです。
でもこれはエホバの証人という立場を捨てたからこそ得ることができたものです。
エホバの証人の結婚や子育て
エホバの証人は、この世との交わりは避けるように教えらえているので、結婚をするとしたら信者同士です。そして恐らくは子供も作りません。なぜか。
宣べ伝える業に支障があるからです。
若く元気な人は地元を離れて「必要の大きな場所」へ(まだ真理が広まっていない場所等)伝道活動をするために派遣されたりします。
そして、エホバの証人が抱く希望はこの今の世にはない、つまり真理を受け入れなかった人が滅ぼされる日を生き残った後の楽園にこそ生きる意味があると信じているので、この世で子供を産むなんて考えません。
現役の時に、姉妹が出産しましたが旦那さんが未信者でした。
そして出産には輸血を伴う可能性もあるので、無用な危険は犯さぬ、といったところです。
結婚することや子供を産み育てることこそが幸せ!!!!とは思いません。
たまたま私の場合は巡りあわせで、旦那と結婚し、4人も子供に恵まれ、幸いなことに皆健康に過ごせているのでそう思うのです。
でも唯一の幸せ、とは言わないもののデカい。人生においてこの幸福感はデカい。
自己肯定感の欠如
エホバの証人として今現在熱心に暮らしている人はどうかわかりませんが、
少なくとも不活発になったり、離れた人は自己肯定感の欠如に悩まされていると思います。
組織の中で特権を得ていたり、大会でインタビュー受けただの、たくさん研究生を見出しただの、組織の中で褒められるようなことが起きても、それは全て「エホバのおかげ」なんです。
- 校歌や騎馬戦をやりませんと先生に証言して許可を得た→エホバが導いてくれたおかげ
- バス停で声を掛け、雑誌を受け取ってもらえた→エホバのおかげ
- 今月はもう食べるお金もない、でも偶然差し入れなどで食料を得ることができた→エホバのおかげ
- 正規開拓奉仕(フルタイムで伝道活動)、今月もノルマを達成できた→エホバのおかげ
- 病気が快復した→祈りが聞き入れられた→エホバのおかげ
などなど、すべて良いことはエホバが導いてくださったから、助けてくださったから!と解釈するわけです。
どんなに暑く寒く、体調が悪く、家族の反対にあって、辛くとも我慢してやったことも全部全部エホバのおかげです。
良かったわね!エホバに感謝しなきゃね!と言われるんです。
組織内で心酔しているときはそれでいいんです。バプテスマを受けて神に献身しているわけですからね。
でもひとたび離れると、自分には何も残っていない絶望感、焦燥感はすさまじいものがあります。自己肯定感なんて微塵もありません。
この世との交流は避けていたため、友達はいません。信者である家族は排斥された元信者とは口も聞いてはいけないことになっています。
普通に伝道活動で無関心な人より罪が重いわけですね
仕事もフルタイムでバリバリしていたわけでもないので、不安定なまま社会に放り出されます。学歴だってせいぜい高卒です。
もう四面楚歌。
心が砕けている人が多いと思います。
たまたま若いうちに旦那と出会えた
私はたまたまラッキーだっただけです。
まだ若く血気盛んな時期に、割と土足で踏み入ってくるタイプwの旦那に出会ったので、思い切って離れて、虚脱感があってもなんとか生きられました。
そして子供のパワーもすごかった。
ただひたすらに愛情を私に求めてくれる存在がこの世に生まれたんです。
必死で何かを提示して得る愛情ではなく、純粋にただ私を求める我が子に私は生かされていると感じています。
自分が産まれてきてから存在していた「エホバの証人」は、無償の愛を説いていたけれど、私がただそこに存在しているだけでは肯定してくれませんでした。
旦那と4人の子供がくれる愛情は、私を人として認めてくれ、存在意義を与えてくれました。