この世
世=真理を求めない人々・この世の中
少し前の世界仰天ニュースでも扱われたところの
「世」の友達を作らない。って話です。
今考えてみると、1世の母は兄を産んだ後に聖書を学び始めたので、
ちゃんと青春を謳歌し、高校大学と学び、志望する教職につき、結婚し、子供にも恵まれという実に充実した時間を味わってきたんだなと思います。
我ながらよく耐えた
2世は就学してからが本当にきついですよね。
それまでは会衆の仲間に可愛がられて、愛や平和を学んでいる人たちだから、悪口はないし(表向きには)、いじめなんてない(表向きには)ところでヌクヌク成長するんです。
それが外に出てみれば、やんちゃな暴れん坊はいるし、悪口や仲間外れは当たり前。
そこに謎のシューキョーをやってる奇怪な子が入れば、いじめられるか腫物扱いかって感じです。
しかも校歌は歌わない、国歌なんてとんでもない、騎馬戦やらクリスマスや花祭りなどの背景に宗教が絡んでいるものも拒否とくれば、先生からも直接的、間接的に面倒臭がられたり攻撃されたり。
この世の子とは遊ばない!と言われているから、表面的な付き合いしかできず、
どんどん輪からはずれていく。グループ活動、宿泊関連の行事の苦痛たるや…
これを迫害を受けるのは、イエスと同じく正しい道を歩んでいるからこそです、むしろ喜びましょうと教えられるもんだから、心はぐっしゃぐしゃです。
本当は流行りのTVアニメや音楽番組が見たい、流行りのファッションを試したい、放課後みんなと遊びたい、親や先生に反抗したいとか色々抱え込んで、でも王国会館ではニコニコ顔で模範的な少年少女でいるわけです。
心も体も学校で疲れ果てていても、週3回は集会(今は減ってるんでしたっけ?)、休日は暑かろうと寒かろうと伝道です。
これを洗脳だ!とか虐待だ!とか叫びたいわけではないんです。
なんか、すごい頑張ってたな自分…という回想です。
これを離れる20歳くらいまで続けてたんですもんね。
ゆがむわw
この世の仕事
そして中学・高校と進んで、仕事のこともうっすら考えるじゃないですか。
私のいたころは高等教育はそこまで勧められていなかったので、皆高校に行くとしてもNHK学園(通信制)とか、実生活に(楽園に行ってからも)役立つ家政科とかでした。
でもとにかく、この世でお金や仕事を追い求めるのは危険だ、それは空しいことだと耳にタコができるくらい言われてきているので、とにかく危機感がないというか普通に生きていくための仕事につくことも危ういんです。。
私たちは楽園で生きることを希望しているのだから、この世で何かを成し遂げようとするのは愚かで、空しい。だから正社員で働くことは避けて、伝道活動に時間を最大限充て、パートとかで食いつなぐのが皆に褒められるという感じです。
井の中の蛙大海を知らず
そして、何かのきっかけで離れる。
するとですよ。何も残ってないんです。
学歴も仕事も、友人も、貴重な青春時代や青年時代も。
恐ろしいことです。時間は戻らないですもんね。当たり前ですが。
自己肯定感なんてものもありません。全身全霊を神に捧げて生きてきたわけですし。
エホバの証人という枠の中では、高い地位にいた人でも、
一歩外に出れば、ただの人。
よりむしろ宗教やってた人?やばい人?というレッテルも背負い、批判や悪意が向けられることが基本的にない世界にいたからメンタルも弱い。
ここから這い上がるには相当精神力や時間が掛かります。
疲れ切ってしまった人がほとんどだと思います。
憎しみ、恨みに変わっている人も少なくないはずです。
生きなおす
それでも。
生きなおせます。
心の中で成長を止めてしまった小さな自分と一緒に、
ちょっとしたことに喜び、美味しいものを食べ、少し自己研鑽。
運動でも勉強でも。頑張ったら自分を褒めて、自分にご褒美をあげたり。
やったことのないものに挑戦してみたり。
思い出して苦しくなったら書き出してみたりして、
自分はこれを耐えてここまで生きてきたのか、生きててエライ!!とまた褒めて、
少しずつ自己肯定感を成長させることができるといいですね。
私は子供がいるので、子供の通っている校歌を一緒にお風呂で歌ったり、イベントごとで国家をしっかり歌ったり、騎馬戦を大声で応援したりしてあの頃の我慢を消化しています。
髪を染めたり、流行りの服を着たりするのも少し心の解放になっています。
あとは大学を中退してしまったので、今通信制で勉強中です。
ADHD傾向があるので、いいこと思いついた!…でもやっぱり無理~の繰り返しですが、なんもしないよりましだよねと自分を励ましています。
この世は確かに空しいこともたくさんありますが、何度でも立ち上がってみせます。
過去を引きずれば引きずるほど、時間は消化されます。
憎い気持ち、辛い気持ちをヨシヨシと慰めて少しずつ小さくしていきたいです。