ADHDと元JWの思い出し手帳

未診断ADHD。元JW(エホバの証人)。四人の母親。

二世ということ

二世ということは、当然産まれてからすべての基盤がエホバの証人の原則を元にしたものになっていて、いわゆる「一般常識」も聖書の原則に合うものだけが教えられるわけです。

 

うちの場合は、父が未信者だったので、可能な限り普通の道に進むように働きかけてくれたのは今となっては幸いでした。

 

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母は、開拓奉仕といって1日のほとんどを伝道活動に使うくらいにはしっかりエホバの証人として生きていたので、幼い頃父とよく衝突していました。

 

 

離婚の危機も度々w

小学校に上がる前の頃、離婚しないでーーーー!と叫んだ記憶がw

 

 

まだ兄や私が小さい頃は、父も元々無神論者であったこともあり、結構激しく反対していました。父が休みの日曜日に集会へ行けば、帰ってきても家に入れてもらえなかったり。聖書やら書籍が捨てられないように、集会から帰ったらすぐ隠したりした記憶もあります。

 

子供からしたら、自らの意思で出かけたのではないのに締め出されたり、物を隠したりしなきゃいけないって結構理不尽。。。w

 

それでも母は、父のことが大好きで大好きでw

聖書に言われる前から元々父を大切にしてきたようです。

なので、エホバの証人の活動をする上で、父の反対にあい、きっとものすごく葛藤があったのではないかと思います。

とはいえ結局は聖書の原則通りに、うまく父を立てつつ、信教の自由を行使したわけです。そして、心から信じているからこそ(心から家族に楽園に行って欲しいから)一生懸命私たち子供に必死にエホバの証人として教え込みました。

 

反対する父がいない日中に、子供向けの書籍を用いて母から聖書の原則を教えられました。母はエホバの証人になる前は小学校の先生をしていたので、きっと教えたり本を読み聞かせしたりするのは好きだったんだと思います。

 

 

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二世への教育

内容は聖書なので別に悪いことを教えているわけではありません。

 

子供側は「親を敬う」

親は「子供は神からの賜物なので大切に」

妻は「夫の頭の権を認める」

夫は「妻を大事に」←忘れたw

とか、

嘘をつかないとか税金を納めるとか相対的な権威(警察とか)に従うとか普通に正しいことや社会生活を送るうえで大事なことは、

成人して家族を持ってみて至極真っ当よねと思うことです。

 

では何が世間的に、カルトと言われる所以となっているかというと、

何が1番大事か、それは神。神が言われることならば、すべて受け入れ、

反すると思われることは拒否せよ。という部分ですよね。

 

有名なのは国旗や校歌の拒否、剣道などの武術の拒否、輸血拒否、選挙拒否、

あとは先ほど書いた「相対的権威」への拒否。

いくら子は親を敬え、妻は夫を頭として扱う、警察などの権威に協力せよ、と言っても

それはあくまでも「相対的」なもの、神に従うという「絶対的」なものよりは優先されません。

相対的権威が、神への忠誠を阻もうとするなら全力拒否!です。

ここに家庭崩壊とかがかかわってくるわけですね。

 

なんというか、どうにもならないですよね。

信じている側は、純粋な気持ちで信じて守りたいし、

反対する側はなんで目に見えないいるかもわからない存在のせいで自分たちが拒否されるんだ!?と思いますし。

絶対に交わらない。

 

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二世として

私は二世として、そして離れた立場として、本当に微妙な気持ちになります。

 

純粋に信じて、素晴らしいと思って、なんとしても一緒に楽園に行って永遠に家族と暮らしたいと思っていた母(そして私)も気持ちを考えると、否定はできない。

小さい頃から巻き添えにするなんて!と怒る人もいるかとは思うけれど、

母は本当に純粋な人だったし、愛情深い人だったから、真面目に、家族を大事に思う一心で兄や私、そして反対する父にも懸命に伝えたわけだから。

 

でも離れてみて、「世」(世の中)に出てみて、教えられてきたほど悪い人はいなくて、エホバの証人じゃなくても良い人はたくさんいることを知って、あぁ最初からこれを知って生きてきたら違った人生が。。。と後悔というか正直恨みに近い気持ちもあるにはあります。

 

青春時代!!!!!とキーーーー!!となりますw

 

 

でも。結婚して4人の母になってみて、なるほどと。

母の子を思う気持ち。

いろんな悲しい事件や事故が起こるのを見て、次は我が子か。。。と心配になる気持ち。

 

永遠の命が、何の心配もいらない、死の恐怖もない世界が、自分だけではなく家族で享受できるなら!!信じてみよう、信じたいと思うよな、と。

 

最初は半信半疑でも、この教義がいかに信じられるものか説かれて、毎日それを考え続けていたら。そこに毎日のようにこの世では不安になる悲しくなるニュースが聞こえてきたら。

 

洗脳と言われるでしょうが、でもしょうがないよな。というのが今の私の本心です。